亜美の健康日誌

亜美が健康について語ります

本庄正則

エボラ出血熱と本庄正則 - bunakenぶなけん
エボラ出血熱と本庄正則. 『なんで「英語 温泉に入る」の事が話題になっているのか解らなかったんですけど、ネットで調べて納得しまし』 それらから総合して考えると、何らかの魔術的理由があって『スティグマ』とその所持者を必要としていた可能性がある。相手が ...(続きを読む)


小渕氏:売却旧宅に表札 家賃払わず母居住
同財団は恵三元首相の後援者で大手飲料メーカー創業者の故本庄正則氏が設立し、主に途上国からの留学生を支援している。小渕氏は01年4月に財団理事となり、06年9月の文部科学政務官就任に伴っていったん理事を辞任。政務官退任後の08年4月に再び理事となり、 (続きを読む)

旧小渕邸、売却後も母が居住 「家賃ゼロ」でも利益供与を否定
この財団は大手飲料メーカー創業者の故・本庄正則氏が設立。小渕氏が財団理事だったこともある。 小渕氏の事務所によると、母親は財団に所有権が移った以降も8カ月にわたって家賃を支払わずに住み続けていた。財団がこの土地・建物を利用するのは来年以降の予定で (続きを読む)


関東入国 家康の構想 家康の関東入国。 恐ろしく長いです。 ご興味ある方...
関東入国 家康の構想 家康の関東入国。 恐ろしく長いです。 ご興味ある方のみ読んでください。 小田原の北条氏征伐のあと、徳川家康は駿遠三と甲信5カ国から、いちお恩賞として、関東一円に移封されます。 秀吉にしてみれば、大坂から遠ざけ、要地から離す意図とされてます。 後、徳川にしてみれば、これがために天下を獲れた(朝鮮出兵に出兵せず、豊臣家を単純に石高なら上回る最大諸侯になる)などとも言われます。(当初家臣は猛反対でしたけど) で、質問ですが、 「家康はなぜ西(主に東海道)を意識した武将の配置を行わかったのですか?もし北を警戒(後述)したのであれば、それは何を警戒してか?」 豊臣秀吉が露骨に、関東の家康を想定して東海道に腹心と思えるような大名を多く配置してるのとは、すごく対照的です。 東からみると 中村一氏(秀吉の織田時代からの臣)…駿河府中15万石 山内一豊(織田家臣時代から秀吉の与力とも直臣とも)…遠州掛川5万石 松下重綱(昔の主筋、秀吉に大名にして貰う)…遠州久能1万5千石高 堀尾吉晴(秀吉の直臣)…遠州浜松12万石 池田輝政(織田時代の同僚の子)…三河吉田15万石 田中吉政(秀吉の直臣)…三河岡崎10万石 そして尾張清州に子飼中の子飼、福島正則 とほぼ昔からの家臣が配置されます。(関ヶ原で全員東軍なんですけどね) それに考えると、家康側なら相模の入りである、小田原あたりから江戸に至るまでに有力武将を配置すべきと思うのですが、 実際は、相模小田原に大久保忠世(4万5千石)くらいのものです、あとは相模は直轄領。 もちろん直轄領は家康旗下の旗本部隊がいるわけで、兵力がないわけではないですが、なにか不思議に感じたもので。 (大久保家自体は、松平数代前からの譜代) で、有力武将家康側の配置を見ますと、 上州に四天王のうち2人も 井伊直政…上州箕輪12万石 榊原康政…上州館林10万石 配置してます。これを前記「北を警戒」(?)と思ったのですが、この配置の意味するところはなんなのでしょうか? 参考、本多忠勝…上総大多喜…10万石、酒井家次…下総臼井3万石 東海道よりの東上を想定した配置は、叛意ありととらえられそれを避けたのかなという気もしましたけど、まあよくわかりません。 以上長くなりましたが、 何故、家康は、東海道方面からの脅威に対する配置をしなかったのか。 上州に2人も有力どころを置いた理由は何があるのか。が質問です。 お分かりの方、お考えのある方、よろしければお願い致します。(続きを読む)